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東京高等裁判所 昭和62年(ラ)571号 決定

申立人 坂田恭一

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一  本件即時抗告の趣旨及び理由は、別紙記載のとおりである〈抗告の趣旨省略〉。

二  当裁判所も、抗告人の本件相続放棄の申述は却下すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり付加するほか、原審判の理由説示のとおりであるから、これを引用する。

1  抗告人は、本件について、ドイツ連邦共和国民法(以下「ドイツ民法」という。)第1944条を適用すべきではなく、法例第30条により日本国民法を適用すべき旨主張する。

ドイツ民法第1944条によれば、相続放棄の期間は、原則として相続人が相続の開始及び相続権の取得原因を知つた時(死後処分による場合はその処分の告知の時)から6週間とされるが(同条第1、2項)、被相続人が外国にのみ最後の住所を有していたとき又は相続人が右期間の開始時に外国に滞在していたときには6か月とするものと定められており(同条第3項)、その趣旨は、被相続人又は相続人がドイツ連邦共和国外にあるときには、6週間以内に相続財産の内容について調査し相続放棄をするか否かを決定することは期待しがたいため、右調査に通常要するものと推測される期間を考慮して、熟慮期間についてこれを通常の場合よりも相当長期のものとする特例を設けたものと解される。

他方、日本国民法第915条第1項によれば、相続人(同法第990条により相続人と同一の権利義務を有する包括受遺者を含む。以下同じ。)は、自己のために相続の開始があつたことを知つた時から3か月以内に相続の承認又は放棄をしなければならないものと定められ、同項但書において、利害関係人又は検察官の請求によつて右期間を伸長し得ることが定められているが、期間の伸長の許否又は伸長する期間は家庭裁判所が諸般の事情を考慮して定めるべきものであつて、相続人の希望する期間について当然に伸長が認められるものではない。もつとも、相続人が相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となつた事実を知つた場合であつても、右各事実を知つた時から3か月以内に相続放棄等をしなかつたのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があつて、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには、熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識し得べき時から起算すべきものと解される(最判昭和59年4月27日民集38巻6号698頁参照)が、右にいう「相続財産の全部又は一部の存在を通常認識し得べき時」の認定は、本来の熟慮期間が3か月であること及びこれについて例外的な取扱をなすものであることを考慮して、厳格になされるべきものと解される。

そうすると、本件のように被相続人(遺言者)の最後の住所地が日本国内にあり、相続人(受遺者)も、相続開始の前後を通じて日本国内に居住する日本人であつて、被相続人の本国であるドイツ連邦共和国内における相続財産の存否をただちには知り得ない場合であつても、相続人がドイツ民法第1944条第3項所定の熟慮期間内に調査を尽くし相続財産の内容を知ることを期待しがたいとはいえず、右のような状況にある相続人が、日本国民法の適用を受けて前記期間内に相続放棄をするか否かを決することを求められる場合に比して、著しく苛酷な結果となるものと解することはできない。したがつて、本件のような事案につき右ドイツ民法の規定を適用することが、日本国の法秩序に反するものとは解されず、抗告人の公序に関する主張は採用し得ない。

2  次に、抗告人は、昭和61年8月25日の時点において、被相続人の相続財産につき内容を把握していないから、未だ相続放棄の期間は進行しないものとすべき旨主張する。

しかしながら、記録によれば、抗告人は、被相続人が公証人に委嘱して作成した相当高額の預金、動産等を遺贈する旨記載された本件遺言公正証書を現認したうえ、被相続人の死亡の約2か月後の昭和61年8月25日、遺言執行者弁護士○○○○に対し遺贈放棄書と題する書面を提出し、本件包括遺贈を放棄する旨の意向を表明したことが認められ、右事実によれば、抗告人は、右時点において、被相続人の相続財産につき相当程度の内容を把握していたものと推認され、そうすると、仮に、ドイツ民法第1944条第3項による期間が、相続人において相続財産につき相当程度の内容を把握した時から進行すると解する余地があるとしても、抗告人の本件相続放棄の申述の熟慮期間の始期は、昭和61年8月25日とするのが相当であるから、抗告人の右主張も失当であり採用できない。

3  その他、記録を精査しても、原審判にはこれを取り消すべき違法となる事由は認められない。

三  よつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 野田宏 裁判官 川波利明 米里秀也)

抗告の原因

第一 本件準拠法に関しては、法例第25条の規定によつてドイツ連邦共和国民法第2087条、同1944条の規定を本件申述に適用することになるが、そうすると下記のとおり公の秩序又は善良なる風俗に反する結果となるから、法例第30条によつて上記規定を適用するのではなく、日本民法を適用すべきである。

一 ドイツ連邦共和国民法第1944条によると、本件における相続放棄の期間は、相続財産の帰属及び相続資格取得を知つた時から6ヶ月となる。

これを経過すると相続放棄の申述ができないことになる。

二 他方相続放棄に関する日本民法の適用が可能であれば、相続放棄に関する民法915条の適用を受けることができる。

この場合申述人は自己のために相続の開始があつたことを知つた時から3ヶ月以内に放棄をすべきであるとされているので、単純に期間の点だけを見ると日本国民法の方が短期間のために申述人に不利のようである。

しかし、同法915条但書によつてこの期間は請求によつて家庭裁判所で伸長することができることになるから、この点からみると申述人に有利である。

三 元来本件申述のような場合において、ドイツ連邦共和国民法1944条を適用して申述人が「相続財産の帰属」の前提となる被相続人の相続財産の明細を知ることは著しく困難であり、特に西ドイツにおける被相続人の積極財産・消極財産の明細までも把握させることは酷なことである。

四 本件審判のように遺贈の放棄の申述を却下して放棄を認めないのであれば、もし被相続人が西ドイツに多額の債務を持つていた場合にこの債務を本申述人が承継しなければならぬという不合理な結果となる。ところが日本民法915条但書の適用が許されるのならば、放棄の期間を伸長して相続財産の明細について相当な時間をかけて調査できその上で放棄するか否かを決めることができる。

五 以上述べたような結果は、公の秩序又は善良な風俗に反するものと言うべきであるから、本件では法例第30条によりドイツ連邦共和国民法第1944条の規定を適用すべきでなく、日本国民法を適用すべきものと思料する。

第二 本件審判の理由四、によると、本件申述人が本件遺言による相続財産の帰属及び相続資格取得を知つたのは、遅くとも昭和61年8月25日であると認め、その結果本件申述は期間を徒過しているとしているが、これは誤りである。

一 申述人は昭和61年8月25日に本件遺言を現認している。

しかしこのことは、申述人において被相続人の日本国内に存する当該遺言書に明記された特定の相続財産だけについてのみ現認にしたにすぎず、被相続人のその他の財産や西ドイツに存在するかも知れない相続財産までも現認したわけではない。

二 即ちドイツ連邦共和国民法第1944条における相続放棄の期間の始期である「相続人が相続財産の帰属……を知つた時」という意味は、相続人が被相続人の財産について、相当程度の内容を把握したということが前提となつている規定であると考えるべきである。つまり相続人において被相続人の相続財産が誰に帰属するかを知るということは、帰属の対象物たる相続財産自体がどのような内容の物であるかを知らなければでき得ないことである。

三 申述人は昭和61年8月25日の時点において、被相続人の相続財産に対して相当程度の内容を把握しておらないのであるから、未だ相続放棄の期間の進行はなく、本件は相続放棄の期間6ヶ月を徒過したとはいえない。

〔参照〕原審(東京家 昭和62(家)5001号 昭62.8.17審判)

主文

本件相続放棄の申述を却下する。

理由

1 申述人は、遺贈の放棄をする旨の申述をし、その実情として、申述人は被相続人から包括遺贈を受けたが、不必要なので民法990条、938条によりこれを放棄すると述べた。

2 そこで検討するに、一件記録によれば、次の事実が認められる。

(1) 被相続人は、昭和60年8月13日○○公証役場において東京法務局所属公証人○○○○○作成の公正証書による遺言(昭和60年第897号)をしたが、その遺言には被相続人の財産全部を申述人に包括して遺贈する旨記載されている。

(2) 被相続人は昭和61年6月18日最後の住所地において死亡した。

(3) 申述人は、被相続人死亡後同人の遺言により同人の財産の遺贈を受けた旨の連絡を受けたが、右遺贈を放棄する旨の意思を表明し、昭和61年8月25日被相続人の遺言執行者である○○○○弁護士に対し遺贈放棄書と題する書面を交付した。

(4) しかし、申述人は、昭和62年2月4日ドイツ連邦共和国大使館から、申述人の作成した遺贈放棄書は、日本法に基づく形式に適つていないため認められない旨の通知を受けたため、昭和62年5月1日改めて本件申述をした。

3 ところで、被相続人は西ドイツ人であるので準拠法について検討するに、包括遺贈の放棄は相続の問題と考えられるので、法例25条により本件準拠法は、被相続人の本国法たるドイツ連邦共和国法となる。ドイツ連邦共和国民法2087条によれば、包括遺贈は相続人の指定とされ、同法1944条によれば、相続放棄の期間は、相続人が相続財産の帰属及び相続資格取得原因を知つた時(死因処分による場合はその処分の告知)から6週間以内とされ(1項・2項)、被相続人が外国にのみ最後の住所を有していたとき又は相続人が放棄期間の開始時に外国に滞在していたときは、6ヶ月と定められている(3項)。

4 前記認定の事実によれば、申述人が死因処分である本件遺言による相続財産の帰属及び相続資格取得を知つたのは、遅くとも昭和61年8月25日と認められるので、昭和62年5月1日受付の本件申述は、前記相続放棄の期間を徒過しているというべきである。

5 よつて、本件申述は不適法であるのでこれを却下することとし、主文のとおり審判する。

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